何か書きたい。

何か書きたい。書くテーマも何もないし、続きますっていってそれっきりにしてしまっているテーマも何個かあるけど新しく何かを書きたい。

私、ツイートする時とかに細かい補足しすぎて140字パンパンになる事が少なくないんだけど、補足しまくる人って自分をわかって欲しい気持ちが強くて、うつ危険度が高いらしい。

これは多分ダメな所なんだけど、世間で「私ってもしかして〇〇かもしれない」って人がたくさんいて、それこそ私ってもしかしてうつかも、私ってもしかしたらADHDかも、私ってもしかしたら超能力者かも、って自分の可能性に期待をしている。しかも例えの前者みたいな気持ち不謹慎なことでもそうかもそうかもってなってしまうのは悪い所だと思ってる。

「もしかしたら」って言葉はすごく言葉のわりに責任が軽くて、夢見心地になれちゃうのね。もしかしたら〇〇かもってだけで未来に飛べるし、あの時もしかしたらってだけで過去に沈めるの。過去の話でのもしかしたらって大体後悔することばっかりな気がする。あの時もっと出来たかもなぁ…って。

 

話すことが分からなくなってきた。

 

素田は全然純文学を嗜む人間ではないのでこの話はにわかがほざくな程度の感想しか生まれんようなイントネーションなんですが太宰治が作家の中で一番好き。昔の人ってヤバいとかマジとかウケるとか今の作家と同じように使わないんですけどそれは本当にその言葉の存在を知らないからなんですよね。知らないっていうか存在がまだない。そこに何だかときめいてしまう。まだ知らない世界で生きてて、今じゃヤバいだけで片付く感情を詳しく分析して当てはまる言葉を見つけてよしよしって悦に浸ってるのかななんて考えると、なんか、素敵〜ってなっちゃう。なんだろう、その健気さ?いじらしさ?というかなんというか、隠し味程度の下心と一緒に高い好感度があります。そういうのに対して。

太宰治全作品読めたわけじゃないけど、親友交歓が一番印象に残ってる。

続く

こう続くって打ち込んでる時は続ける気があるし続く文章も思いついてるんだけど、いざやるぞ〜となると忘れてしまうし意欲もサッパリ消え失せているので続くってなってるのは大体続きません。